戦後70年 私の戦争体験(8)

●あたらしい憲法のはなし私が中学生になった昭和24年、戦後の民主主義教育も軌道に乗り始めた頃、中学生になって一番初めに手にした教科書が社会科の『あたらしい憲法のはなし』でした。B6版の薄い冊子で表紙には国会議事堂が色刷りされていました。この頃…

戦後70年 私の戦争体験(7)

●玉音放送と日本の敗戦、赤羽で空爆にあい母は慌てて私を常鑑寺に送り届ける際、お盆でしたので母の郷里の桐生に立ち寄り、母の妹の家に一泊しました。 その翌日の8月15日の正午、天皇の玉音放送があるからと、近くの家のラジオの前に近所の人が集まりまし…

戦後70年 私の戦争体験(6)

●赤羽大空襲私たちが学童疎開に発った後の、4月13日の夜、赤羽に大空襲があり、駅を中心に町の大部分が焼かれましたが、赤羽国民学校と赤羽銀座は免れました。私の家も焼けずに残りました。 それは周辺の家屋が、1943年(昭和18年)の国の防空対策で、焼夷…

戦後70年 私の戦争体験(5)

●学童疎開東京大空襲に慌てて、一斉に学童疎開が開始されました。赤羽国民学校でも3月の終わり、群馬県の勢多郡黒保根村水沼(現在は桐生市黒保根町水沼)の常(じょう)鑑寺(かんじ)に3年生から5年生までの40数名が疎開しました。私はまだ3年生でした。常…

戦後70年 私の戦争体験(4)

●東京大空襲 1944年(昭和19年)、とうとう米軍のB29による東京初空襲をきっかけに、各地で空襲が激しくなっていきました。昼夜、不気味な空襲警報のサイレンが鳴り響くようになり、夜間は慌てて電灯を布で覆い、空襲解除のサイレンが鳴るのを息をひそめて…

戦後70年 私の戦争体験(3)

●真珠湾攻撃から太平洋戦争へ1941年(昭和16年)12月8日、日本軍による真珠湾攻撃が起こると、米英が日本に宣戦布告をし、太平洋戦争へと突き進んでいきました。国内では一気に戦時体制になり、人々の生活はだんだん暗く苦しくなっていきました。 食料や衣服…

戦後70年 私の戦争体験(2)

●戦争の足音そんな賑やかな暮らしの中で、日中戦争は着々と進んでいました。 その頃は次々と戦果を挙げ、「紀元(皇紀)2600年」(昭和15年)の記念行事と重なって、戦勝を祝う花電車を見に、祖母と王子の飛鳥山公園に行き、提灯(ちょうちん)行列に加わりま…

戦後70年 私の戦争体験(1)

●私の生いたち1937年(昭和12年)1月、私は東京都北区(当時は王子区)赤羽で生まれました。1937年といえば、中国の盧(ろ)溝(こう)橋(きょう)で日中軍が武力衝突し、日中全面戦争(支那事変)へと突入していった年です。さらにその年の12月には、日本軍によ…

新座市長立候補者へ公開質問状

あじさい7月13日(日)に行われる新座市長選挙に向けて、4人の立候補者に、市民団体「にいざ・女と男の平等ネットワーク」は、男女平等共同参画に関する公開質問状「http://sky.geocities.jp/niizanet/」を提出しました。「にいざ・女と男の平等ネットワー…

「美しい国、日本」の家族像って?

ムラサキツユクサ 安倍内閣の教育再生会議(野依良治座長)が「子育ての提言」をして話題(問題)になっています。 「乳幼児期から早寝・早起き・朝ごはん」「赤ちゃんの瞳をのぞきながら子守唄」「母乳で育てる」「授乳中や食事中はテレビをつけない」「あいさ…

平和はみんなのねがい 今こそ生かそう憲法を!

母親大会はだれでも参加できる話し合いの広場です。話したい方も、聞きたい方も、みんなでおいでください。もちろん男性も大歓迎です。6月3日(日) 10:00〜16:00 川口市民会館大ホール ● 記念講演 「メロンの立場〜憲法が守っているもの」 講師 アーサー・…

第52回 埼玉母親大会のごあんない

バコパ

平林寺の半僧坊まつり

] 4月17日、新緑が美しい新座市の平林寺(臨済宗の禅寺)で、年1回の半僧坊祭りが行われ、市内ばかりでなく近隣からも4万人もの人たちが集まりました。 境内では午後2時から雅楽が響き渡り、各地から参集した同宗の僧侶たちが、色彩豊かな法衣をまとい、…

男女共同参画合同セミナー

紅葉した、ハツユキカズラ 1月から4回にわたって野火止公民館で4館(中央、野火止、栄、東北コミセン)合同の男女共同参画セミナーが開催されました。 企画は4館の自主グループ(新座はんさむウーマンネットワーク、働く女性の会、自分さがしの会、女性…

あなたは熟年離婚しますか?

早春の、ツルニチニチソウ もう一つの2007年問題 離婚する夫婦の厚生年金分割制度が、4月1日からいよいよスタートしました。 同居期間25年以上の熟年夫婦の離婚は、この10年で2倍以上に増えています。30年以上の夫婦に限ってみると3倍近くになり、この増…

男性にどんな問題が起こるでしょう

長年の性別役割分業(男は仕事、女は家事・育児)の結果として、男性は家事が不得手、女性は経済力がない、ということが問題になってきます。 退職後、夫が家にいると、妻の仕事は急に増えるといわれます。妻が不在の間、食事に困るから妻の外出を喜ばない。 さ…

延びる平均寿命と平均余命]

「老後」とは、ふつう65歳からとなっています。とくに老年前期(65歳〜70歳)は「主要な役割からしだいに引退していく時期、役割の縮小期」として特徴づけられます。 男性の場合は「退職以後」が老後になりますが、女性は「育児と老後の間」に、何か新しい役割…

豊かな老後をおくるために

老後は性別役割分業が成り立ちにくいライフステージであるということです。 老後に子ども夫婦と同居するのが当然であった時代には、配偶者と死別しても、娘やヨメ、息子やムコがその代わりの役割を果たしてくれました。 現在のように子ども夫婦と同居しなく…

女性にとっての老後の問題は?

老後に直面しやすい問題は男性よりも多様で深刻といわれます。女性は家事の面では自立していますが、長年の性別役割分業の結果として、専業主婦として生きてきた人が多く経済的には不利で、働いても低賃金・パート労働のため年金も少額です。 その上、女性の…

あなたの老後はどんなライフステージ?

チューリップ 新座市の栄公民館では、4月の21、22日(土日)の2日間にわたって公民館まつりを開催します。 公民館の女性セミナーで学習している「自分さがしの会」では、「老後とジェンダー」をテーマに、次のような内容のパネル展示を準備しています。

新座母親大会が市へ要望書

] 全体会昨年の10月22日(日)に開催された第32回新座母親大会は、子育て、教育、男女平等、高齢者、平和をテーマにした5つの分科会の話し合いから、要望事項をまとめ、市へ要望書を提出することになりました。 朴慶南さん 教育問題の分科会 高齢者問題の分科…

新座の公民館はいま

冬の花、クリスマスローズ 有料化へ移行する公民館、「原則無料」を取り戻そう 公民館は地域をつなぎ地域をつくる拠点 新座市には、6つの公民館と2つのコミュニティセンターを合わせて、8館の社会教育施設があります。その8館に約800のサークルや団体…

女は子どもを産む機械?

香りと藍色が美しい、ムスカリ 新座市の東北コミュニティセンターでは、5月の12、13日(土日)の2日間にわたってコミセンまつりを開催します。 私も参加している女性セミナー懇談会では、次のような内容のパネル展示を準備しています。 先ごろ(1月)、柳…

夏から秋のガーデニング

真っ赤なアメリカふようの花が鮮やかです。 ほかに、紫つゆくさ、ベロペロネ、ルドベキア、ヒオウギスイセン、ノボタン、トケイソウ、ダリア、テンニンギク、百日草、などの夏の花が元気に咲いています。ヤブランの花も咲いて、すっかり秋の色調になりました…

地域からジェンダーの風を吹かせよう!

人に見せたい?、ミセバヤ 新座市では、10月から2つの公民館(野火止、栄)と東北コミュニティセンターで、女性セミナーが開講しています。 3館とも公募による市民の女性セミナー準備会で企画されたものです。 今年の特徴は、2館のセミナーが「ジェンダー…

7月のガーデニング

梅雨空に夏の宿根草が次々と開花しています。 昨年、ご近所から株分けしていただいたムラサキクンシランが、見事に大きく開花しました。種類の違うもう一つの小株のクンシランも咲きました。 春のガーデニングとは、花の種類も全体の色彩も違いますね。

上野千鶴子さんからよびかけ

トケイソウ ジェンダーバッシングが、とうとう学会にまでおよんできました。 東大教授の上野千鶴子さんから、次のような「よびかけ」がありました。 ジェンダーフリーバッシングが拡大し、ついに国会その他での政治家などの発言の中に、「ジェンダーという用…

ジェンダー・性教育バッシングはどこからきたの?  Ⅱ

マツムシソウ 2003年に入ると、都内の養護学校や公立小学校において、性教育や男女平等教育のとりくみを「行き過ぎ」とし、一部の議員やメディア、教育委員会による介入や攻撃を受けるようになります。 そして特徴的なことは、男女平等教育や性教育だけでな…

第2段階(2002〜現在)

●ジェンダー・性教育バッシング 「新しい歴史教科書をつくる会」を主軸とする保守勢力が、「男女共同参画条例の変質と、現場のジェンダーフリー教育と性教育への攻撃」という、二つの柱で展開されています。1)各地におけるジェンダー・バッシング 2001年ご…

第1段階(1999〜2001)

●ジェンダー・バッシング 1999年、「男女共同参画社会基本法」が制定され、各地で条例が制定され始めた矢先、2001年ごろから、保守勢力から攻撃が始まりました。 これは、1975年の国連の女性年をきっかけに始まった、世界的な女性の地位向上、男女平等の推進…