第1段階(1999〜2001)

ジェンダー・バッシング

1999年、「男女共同参画社会基本法」が制定され、各地で条例が制定され始めた矢先、2001年ごろから、保守勢力から攻撃が始まりました。
これは、1975年の国連の女性年をきっかけに始まった、世界的な女性の地位向上、男女平等の推進を阻もうとする勢力の動きです。「男は仕事、女は家庭」という、伝統的な男女の性別役割分業観を守ろうとし、そして、社会的・文化的につくられた性=ジェンダーの「男らしさ、女らしさ」を強調しようとするものです。

・東京都教育委員会は「ジェンダー・フリーという用語の使用に関する東京都教育委員会の見解」を発表し、都立学校長宛に文書を通知しました。
ジェンダー・フリーという用語は「誤解と混乱を招くことが考えられるので(意味や主張する内容は、使用する人によりさまざまで、誤解や混乱が生じている)、男女平等教育を推進する上で、今後、この用語を使用しないこととした」。
各学校においては「東京都教育委員会の見解」を十分にふまえ、男女平等教育の指導計画を見直すとともに配慮するように」

性教育に関するバッシング

・1992年「文部省版性教育元年」、小学校の保健と理科の教科書に「性に関する指導」が具体的に盛りこまれたころから始まりました。
 一部の週刊誌や、統一教会系団体の機関紙・誌で、性教育にまともに取り組む実践と研究に対して、理論的攻撃を中心とした内容で、「性交教育」「コンドーム教育」などの造語を使って、誹ぼう・中傷が行われました。
国や社会が性教育の必要性を認め、組織的な取り組みをはじめようとしたころから攻撃も始まりました。
 そのころは、性教育の講演会などが行われる際に、教育委員会や学校にクレームをつけたり、講師を中傷するような形をとってやっていました。

第2段階(2002〜現在)

ジェンダー性教育バッシング

「新しい歴史教科書をつくる会」を主軸とする保守勢力が、「男女共同参画条例の変質と、現場のジェンダーフリー教育と性教育への攻撃」という、二つの柱で展開されています。

1)各地におけるジェンダー・バッシング
2001年ごろから。地方議会の男女共同参画条例や、男女平等教育に対する批判や攻撃が全国各地で行われるようになる。
この動きの背景には、国会・地方議員・学者が加盟するいくつかの全国組織がある。これは右翼ないし保守勢力であり、メディア、出版、研究団体、宗教団体、市民の会など様々な組織、団体とつながっている。そして、歴史、教育、家族などを中心に、議会への陳情などの方法で組織的に攻撃を仕掛けている。反ジェンダーフリー、反夫婦別性、反男女共同参画基本法のキャンペーンを行っている。

山口県宇部市「参画条例の変質」、千葉県議会「条例の廃案」、 鹿児島県議会・石川県議会・徳島県議会・荒川区議会の「ジェンダーフリーという過激な思想運動の排除」、豊中市の元男女共同参画センター長、三井マリ子への攻撃)

2)性教育バッシング
 2002年から、国会で山谷えり子議員の質問が継続的に行われ、行政の具体的な対応を引き出した。
 2001年から配布されていた中学生向け性教育パンフレット「思春期のためのラブ&ボディ」(厚生省所管財団法人作成)に、衆議院文教委員会で山谷議員から「セックスをあおっている」という質問に対して、遠山文部科学大臣が「中学生に、ここまでと言う気がする」と答弁。2002年に「ラブ&ボディ」は絶版。在庫は回収。
以来、産経新聞など、一部のマスコミの報道、「過激な性教育」「行き過ぎた性教育」などの誇大な宣伝が目立つようになる。